プリツカー賞 山本理顕さん受賞
2024年5月20日(月)
2024年5月20日(月)
日本を代表する建築家の一人山本理顕氏がプリツカー賞を受賞されたというニュースがありました
プリツカー賞は、ハイアットホテルチェーンのオーナーであるプリツカー一族が運営する財団が贈るもので、
「建築界のノーベル賞」とも称される世界的な賞です。優れた建築家に対して贈られ、原則として毎年一名が受賞します。
山本氏の受賞は日本人建築家として9人目となる快挙です。
過去の日本人受賞者は丹下健三氏にはじまり
槇文彦氏、安藤忠雄氏、妹島和世氏・西沢立衛氏、伊東豊雄氏、坂茂氏、磯崎新氏の8名です。
建築を知らない人でも安藤忠雄氏、丹下健三氏の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。
山本理顕氏の建築にあまり詳しくないので、調べてみたところ、
やはり、東京や横浜での作品がほとんどで、東海地方では静岡県沼津市にある東京ウエルズテクニカルセンターと名古屋市の名古屋造形大学のみでした。
私が過去に見たことのある山本氏の作品は横浜緑園都市くらい。
あっ、あれ、山本理顕氏だったのか。
かれこれ30年ほど前、まだ学生だった頃に建築雑誌に掲載された緑園都市に「うわぁー」となったのを覚えています。
いざ、見に行かん!と電車を乗り継いで行きました。
緑園都市駅前の坂道に山本氏の設計した建物がズラリと並んでいました。
まだ、当時建設中の建物もある緑園都市は、入居住民・店舗も少なかったから、静かな印象でした。
山本氏の全体計画のとして、
「建物の中を通過して隣の建物に接続できるような通り抜けの道を建物の中につくる」
というひとつの条件だけがあったそうで、実際に行ってみると、
Aの建物から入ったのにBの建物で2階に上がり、そこから通り抜けてCの建物からでるという感じで、
それが迷宮のようで、とてもワクワクしたのを覚えています。
Wikipediaを見るとせっかく設計しコンペで受賞したのにも関わらず町長や市長の交代により建築に至らなかった建物が3棟もあるようです。
更には名古屋造形大学の学長時代、キャンパスの設計を手掛けたものの、建築途中で裁判、学長を解任され、
完成した新キャンパスに設計士でありながら立ち入ることができない、設計料が支払われないという事態に。
設計にあたって、敷地を理解するのは当然のことで、環境やその土地の歴史など様々なことを調べたうえで設計にあたり、
その建物がいかに人々の生活に寄り添うかを考えて、血反吐を吐く思いで計画にあたるでしょうに、
それが形にならず、裁判などで設計への時間が割かれるなんて、なんだか不遇の方だなと思いました。
今回のプリツカー賞の受賞は、報われた!という感じ、心からおめでとうございますと言いたいです。