代表 三輪雄彦ブログ 不易流行

三輪 雄彦
今日は平成の大晦日
2019年4月30日(火)

今日は平成の大晦日と言うことです。
昭和~平成~令和と3時代を生きているなんて既に歳とったな~と

因みに母系のおばあちゃんは今年100歳
生き神様
大正~昭和~平成~令和と4時代を生きています!

 

テレビ番組でも特番!特番!
新聞もSNSも多いに賑わい
道の駅平成も、なんでも入るに6kmの渋滞が起こっていたとか
なんか微笑ましいような(笑


(先輩のFB写真から拝借)

 

自分としては感慨深い気もしますが
セレミニーチックにした方がいいのか、しない方がいいのか
普通にしていればいいのか、普通じゃダメなのか
結局はなんら変わった事はなく普通にしようかと。

 

平成の振り返り

昭和の終わりにバブル期があり少しだけど恩恵を受けましたが、
以後30年続くデフレ不況の中を生きて来た自分。
経済成長はほとんどありませんでしたが、
技術の進化は生活様式、価値観を大きく変えて行きました。

 

デフレ不況は国力は低下させ、国民は疲弊し2極化が加速
人口構造問題は多方面多種多様な難問となり、深刻化を増す一方。
日本の未来を憂うばかりです。
世界はグローバル化疲れを引き起こし、経済も治安もガタガタに・・・
明らかにこの30年で世の中が混乱しました。

 

昭和 0~20歳
平成 21~51歳
令和 52~?

 

平成30年を振り返ると、30年づつ3つの時代に分ける事が出来ます。
20歳代、30歳代、40歳代

 

自分の平成30年間はと言いますと
人生の最も重要な時期を過ごした30年だったと今更ながら思います。
たくさんの失敗と挫折と成功と紆余曲折、悩みまくった30年でした。

 

■20歳代はペンキを塗ることに明け暮れました。
遊びもいっぱい楽しみましたし海外旅行も度々
たくさんの失敗、恥もかき、思い起こすと恥ずかしいこともたくさん・・・
20歳後半には結婚もし2人の男子を授かり、一応順風な毎日。
うちの奥さんは高1の同級生なので、30年以上のつきあい(笑


(確かにこんな感じでしたね)

 

■30歳代
青年会議所活動を通じてたくさんの学びをさせて頂きました。
仕事も職人から営業・施工管理者になり、おおかたの業務を
切り盛りするようになりました。
とは言うものの今の状態とはほど遠い状態で、

非常にレベルの低いモノだったと思います。
それでも熱意だけはあり、青年会議所、子育て(子供の野球、サッカーも)、

仕事と年間休日30日、1日15時間労働というモーレツな毎日を送りました。

 

■40歳代
本格的に代表者として経営というモノに向き合いました。
会社の転機は42歳あたりを過ぎてからやってきました。
「あまり規模を大きくしない方がいいぞ~」という親の意見に背き
拡大を目指しました。
全国の名たる塗装会社の社長との出会い
「俺も会社大きくしたい」
この衝動にかられ、無我夢中で勉強し、実行の毎日です。


ちょうど10年前に自分で作ったチラシ・・・かなり恥ずかしい(笑
お客様がお持ちだったのを写メさせて頂きました。

 

弟の佳彦、従兄弟の泰也を職人から営業・施工管理に配置替えし、
建築士の石原と足立を雇用することができ、
全てが功を奏し、ツキも見方につけ成長する事が出来ました。
社員全員の頑張りは凄いモノがあり感謝の念に堪えません。

そして50歳代
令和時代がいよいよ明日から始まります。
日本全国で働き手人口の減少により、超採用難時代が続いています。
会社力が付きたくさんの工事をいただけるようになった事はいいのですが
それに対応する社員の不足が深刻化しています。
100年続く、いい会社にするための最大の課題は採用です。

 

今後、予定では65歳と決めた定年まで13年。
激動平成30年間で養った知識・知恵・感・人脈・感性をフル活用して
全社、全協力業社一丸となって乗り越えて行きたい。
密かに燃えています。

 

なんだかんなだ自分は仕事大好き人間なんだと
30年以上突っ走って来てつくづく思います。
今日までの30年、そして明日からの幕開けに特別感はありませんが、
ひそかに過去の自分の頑張りを称え、
そしてこれからの自分にエールを送りたいと思います。