2017年9月11日(月)
塗魂インターナショナルと言う塗装でボランティアをする団体の活躍に賞賛!
先だって塗魂インターナショナルと言う塗装でボランティアをする団体が、杉原千畝のリトアニア大使館時代の功績を称え保存する為に建てたれた、リトアニア杉原千畝記念館をボランティアで修復作業を行ったという記事が新聞に掲載されました。
私は塗魂インターナショナルに所属する塗装屋さんの友人のフェイスブックなどでその活躍の一部始終を見ておりましたが、本当に素晴らしい事業であったと思います。
事業詳細は塗魂インターナショナルHPから
↓
http://tokon-international.org/active/no006-lithuania.html
しかし私が思うに杉原千畝は日本ではいま一つ知名度・評価が低いですよね。
とても残念な事です!
岐阜県民の誇り、日本の誇り、世界の宝であるはずの方を、私達は小学校でも教わった記憶もない。
(今はわかりませんが・・・)
杉原千畝の功績とは
第二次世界大戦中、リトアニアのカナウス領事館に赴任していた杉原は、ナイチスドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきたユダヤ難民たちの窮状に同情。
1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。
「東洋のシンドラー」などと呼ばれることがある。
(wikipediaより)
ユダヤ人からすると民族一同の英雄中の英雄であるのですが、日本ではしばらく英雄として扱われなかった、それは妨害に遭ったとでも言うべきか・・・
その理由には信じられない当時の状況があったようです。
かなり端折って書きますが調べたところこのとうな事です。
(不足あると思いますがお許し下さい)
・杉原はとにかく頭脳明晰、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語をネイティブ並に操る語学の天才で、特にロシア人には疎まれていた。(恐れられていた)
・ユダヤ人にビザを出したことは本人の個人プレーであって、当時の外務省の命令に反した事になる。
当時は日本とドイツは同盟国で有り、外務省のメンツを潰したカタチとなった。
・日本に帰国後は、彼の功績を称えるどころか、ビザ発給時に多額のお金を搾取していたなどのデマを流されたり、外務省の同僚にも裏切られたりと不遇な人生をしばらく過ごす事になる。
・名誉が回復したのは2000年の河野洋平外務大臣時代で、外務省として杉原千畝及び杉原家に対し謝罪をし、長い時をかけて彼の名誉が回復した。
世界では真の英雄として尊敬されている杉原。
ユダヤ人からはセンポ・スギハラと言う名前で崇められている。
東洋のシンドラーなんて言われるが、それでは杉原に対しては失礼な話しで、シンドラーこそアメリカのセンポ・スギハラと呼ぶのが正しいのではないかと!
だってシンドラーは自社の従業員を守る為にとった行動である意味、会社を守るという根本がありましたが、杉原千畝のした事は自分の身も案ずることなく、多くのユダヤ人を救った事は、全くの見返りもない、本当の人道支援ですから。
(勿論どちらが正しいなんて話ではないかもしれませんが・・・)
その杉原千畝の記念館が日本では、岐阜のド田舎でひっそりと・・・
(立派な施設ではあるのですが・・・)
来館者もそんなに多いとは言えない・・・。
今春行きましたが、日曜日だと言うのにほんの数名でした
参加された塗装職人のみなさん
塗料は現地で指定された塗料を使ったとのこと
少し扱い難かったと聞いていますが、見事に対応したそうです。
やはり日本の塗装職人さっは凄いね!
今回の塗魂インターナショナルの活動はリトアニアの建物の維持もですが、杉原千畝を知って貰う!
という事だけでも一役買って頂いた、大変に意義のある活動だと思います。
本当に御苦労様でした ありがとう!
そしてこれからはもっともっと国が先導して、正しい歴史認識として杉原千畝を後世に伝えるべきだと言う事を訴えたいですね!
真の英雄 杉原千畝!
YAHOO NEWS 日本の「ペンキ屋」、「命のビザ」旧領事館を修復